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山羊の歌


少年時

 少年時
 盲目の秋
 わが喫煙
 妹 よ
 寒い夜の自我像


 木 陰
 失せし希望
 
 心 象

少年時


黝い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。

地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆のやうだつた。

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。

翔びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午過ぎ時刻
誰彼の午睡するとき、
私は野原を走つて行つた……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫、生きてゐた、私は生きてゐた!


黝(あをぐろい) 兆(きざし) 翔(と)び 面(も) 午(ひる) 午睡(ひるね) 唇(くちびる) 噫(ああ)
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盲目の秋


   T

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

その間、小さな紅の花が見えはするが、
  それもやがては潰れてしまふ。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思つて
  酷白な嘆息するのも幾たびであらう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華と夕陽とがゆきすぎる。

それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛へ、
  去りゆく女が最後にくれる笑ひのやうに、

厳かで、ゆたかで、それでゐて佗しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

      あゝ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

   U

これがどうならうと、あれがどうならうと、
そんなことはどうでもいいのだ。

これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと、
そんなことはなほさらどうだつていいのだ。

人には自恃があればよい!
その余はすべてなるまゝだ……

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ。
ただそれだけが人の行ひを罪としない。

平気で、陽気で、藁束のやうにしむみりと、
朝霧を煮釜に填めて、跳起きられればよい!

   V

私の聖母!
  とにかく私は血を吐いた!……
おまへが情けをうけてくれないので、
  とにかく私はまゐつてしまつた……

それといふのも私が素直でなかつたからでもあるが、
  それといふのも私に意気地がなかつたからでもあるが、
私がおまへを愛することがごく自然だつたので、
  おまへもわたしを愛してゐたのだが……

おゝ! 私の聖母!
  いまさらどうしやうもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい――

ごく自然に、だが自然に愛せるといふことは、
  そんなにたびたびあることではなく、
そしてこのことを知ることが、さう誰にでも許されてはゐないのだ。

   W

せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披いてくれるでせうか。
  その時は白粧をつけてゐてはいや、
  その時は白粧をつけてゐてはいや。

ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に輻射にてゐて下さい。
  何にも考へてくれてはいや、
  たとへ私のために考えてくれるのでもいや。

ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいてゐて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、

いきなり私の上にうつ俯して、
それで私を殺してしまつてもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土の径を昇りゆく。


間(かん) 紅(くれなゐ) 曼珠沙華(ひがんばな) 湛(たた)へ 笑(ゑま) 厳(おごそ)か 佗(わび)しく 自恃(じじ) 藁束(わらたば) 填(つ)めて 聖母(サンタ・マリア) 披(ひら)いて 白粧(おしろい) 暝土(よみぢ)
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わが喫煙


おまへのその、白い二本の脛が、
  夕暮、港の町の寒い夕暮、
によきによきと、ペエヴの上を歩むのだ。
  店々に灯がついて、灯がついて、
私がそれをみながら歩いてゐると、
  おまへが声をかけるのだ、
どつかにはひつて憩みませうよと。

そこで私は、橋や荷足を見残しながら、
  レストオランに這入るのだ――
わんわんいふ喧騒、むつとするスチーム、
  さても此処は別世界。
そこで私は、時宜にも合はないおまへの陽気な顔を眺め、
  かなしく煙草を吹かすのだ、
一服、一服、吹かすのだ……


脛(あし) 憩(やす)み 荷足(にたり) 這入(はひ)る 喧騒(どよもし) 此処(ここ)
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妹 よ


夜、うつくしい魂は涕いて、
  ――かの女こそ正当なのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
  もう死んだつていいよう……といふのであつた。

湿つた野原の黒い土、短い草の上を
  夜風は吹いて、
死んだつていいよう、死んだつていいよう、と、
  うつくしい魂は涕くのであつた。

夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
  ――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかつた……


涕(な)いて 正当(あたりき)
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寒い夜の自我像


きらびやかでもないけれど
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志明らかなれば
冬の夜を我は嘆かず
人々の憔懆のみの愁しみや
憧れに引廻される女等の鼻唄を
わが瑣細なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉めくままに静もりを保ち、
聊かは儀文めいた心地をもつて
われはわが怠惰を諌める
寒月の下を往きながら。

陽気で、坦々として、而も己を売らないことをと、
わが魂の願ふことであつた!


憔懆(せうさう) 愁(かな)しみ 蹌踉(よろ)めく 聊(いささ)か 諌(いさ)める 而(しか)も
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木 蔭


神社の鳥居が光をうけて
楡の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木陰は
私の後悔を宥めてくれる

暗い後悔 いつまでも附纏ふ後悔
馬鹿々々しい破笑にみちた私の過去は
やがて涙つぽい晦瞑となり
やがて根強い疲労となつた

かくて今では朝から夜まで
忍従することのほかに生活を持たない
怨みもなく喪心したやうに
空を見上げる私の眼――

神社の鳥居が光をうけて
楡の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木陰は
私の後悔を宥めてくれる


楡(にら) 宥(なだ)めて 晦瞑(くわいめい) 眼(まなこ)
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失せし希望


暗き空へと消え行きぬ
  わが若き日を燃えし希望は。

夏の夜の星の如くは今もなほ
  遐きみ空に見え隠る、今もなほ。

暗き空へと消え行きぬ
  わが若き日の夢は希望は。

今はた此処に打伏して
  獣の如くは、暗き思ひす。

そが暗き思ひいつの日
  晴れんとの知るよしなくて、

溺れたる夜の海より
  空の月、望むが如し。

その浪はあまりに深く
  その月はあまりに清く、

あはれわが若き日を燃えし希望の
  今ははや暗き空へと消え行きぬ。


遐(とほ)き 此処(ここ) 夜(よる)
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夏


血を吐くやうな 倦うさ、たゆけさ
今日の日も畑に日は照り、麦に日は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦うさ、たゆけさ

空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は炎ゆる、地は睡る
血を吐くやうなせつなさに。

嵐のやうな心の歴史は
終焉つてしまつたもののやうに
そこから繰れる一つの緒もないもののやうに
燃ゆる日の彼方に睡る。

私は残る、亡骸として――
血を吐くやうなせつなさかなしさ。


倦(もの)うさ 炎(も)ゆる 終焉(をは)つて 繰(たぐ)れる 緒(いとぐち) 彼方(かなた) 亡骸(なきがら)
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心 象


   T

松の木に風が吹き、
踏む砂利の音は寂しかつた。
暖かい風が私の額を洗ひ
思ひははるかに、なつかしかつた。

腰をおろすと、
浪の音がひときは聞えた。
星はなく
空は暗い綿だつた。

とほりかかつた小舟の中で
船頭がその女房に向つて何かを云つた。
――その言葉は、聞きとれなかつた。

浪の音がひときはきこえた。

      U

亡びたる過去のすべてに
涙湧く。
城の塀乾きたり
風の吹く

草靡く
丘を越え、野を渉り
憩ひなき
白き天使のみえ来ずや

あはれわれ死なんと欲す、
あはれわれ生きんと欲す
あはれわれ、亡びたる過去のすべてに

涙湧く。
み空の方より、
風の吹く


靡(なび)く 渉(わた)り
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last update 2000/1/1
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